睡眠、夢うつつ。

日々のことをつらつらと。

あのね本当は。

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普段とはすこし変わったものを。

 

「文章を書く人は文章によって癒される」だったか

「文章を書くことによって得たストレスは、文章を書くことでしか発散できない」だったか。

 

少し前に、どこかで見かけた一文。うまく思い出せないんだけど、こんなニュアンスのことを言ってたな、と思った。実際そうである。取材して記事を書いて、一生懸命伝えようと工夫をして書いたつもりでも、この文は読者の身体にはスッと入ってこないのではないだろうか?言い回しがくどくないか?などと、あとで悶々としたりもする。

 

しかし記事を時代も人も待ってはくれない。得た情報をなるべく早く、正確に、そして詳細に…などと思って書いて「あぁ間に合わない…!もう出さないと…」そんなふうにして切り上げたものをあわてて出す。時間の流れに飲み込まれるように自分の記事が流れていくのを感じる。配信されて、自分の書いた文章が遠くにいって、それが読者の手によって拡散され、読者の笑いやお叱りを頂きながら「今日自分が出した記事は、人のためになったかな」と振り返る。影響はあっただけいいのだ。間違ってたら良くないけど。

 

でも振り返ってばかりでは生産性がないから、次へ次へと手をすすめる。迷ってる時間の分だけ溜めこんでしまうから、私はえらくせっかちな性格になってしまった。本当はそんなこと望んでないのに。人が10分、1日、3日とかけて考えるところを、一瞬で決めて決断を下す。そうでもしてないと処理しきれないのだ。その結果が良かったのかどうかは、結局は読者によって決まるものだと私は思っている。

 

「言いたいこと」って、結局書いてると同時に「今、ここで書かないけど」生まれちゃうものって、逆にあったりで。

 

そう、そんなことがあって、今日は普段かかないようなことも書いちゃったわけです。でも今回は、最近文章を書いてないというストレスを発散するために記事を書いてる、と考えたほうが自然か。

 

まぁ、中毒なんだよ。