「誰かが見てるとか関係なく行動しているか」
私はその視点を知ったとき、視界が広がった、とすら思った。実際、ブログを書くのも、誰かが読んでくれて、いいねとか星をくれるのが嬉しいから書くのではなく、誰が読んでなくても書きまくってるかどうかは大事だと思っている。(自分は星1個はつかないと寂しがるけど。)
なにが言いたいかというと、その熱量というのは自分の人生にとっても大事だとおもうからだ。誰も見てなくて自分しかカウンターまわさなくてもサイトをこつこつとアップデートしたり、誰がみてなくても1人で絵を描き続けて保存をしていたり、別にうまいと言ってもらわなくても毎週お菓子を作ったりと。
兎に角、なにに時間を費やして情熱を注ぎ込んでいるかは大事で、それはあとになって謎の真価を発揮することもあるし、突然その経験値が化けることもでてくるからだ。(しかし、あとになってメリットが発生するから、なにか熱狂的になれるものを持つのがいい、というのは本末転倒。)
ふと、自分がなにをしてきたか、何に情熱を傾けてきたかを今日はぐるっと考えてみたが、仕事が押し寄せてそれどころではない数年が、自分のなかの「何がしたいか」を潰してしまったことに気づいた。アイデンティティとなるコアなものが私には抜けてしまっている。
とはいえ、仕事のせいにするのは自分の言い訳でしかなく、ツケがまわってきたのは自分の責任だ。
感覚を研ぎ澄ます。
いま、私が誰にいわれなくても、やりたいことはなんなのか。
時間ができて、迷う。
気付けて良かったのだ。こんなどうしようもないことに。