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睡眠、夢うつつ。

日々のことをつらつらと。

勝ち抜くよりも負け続けぬように信じるがままに

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「グッドモーニング・サブカルチャー

 

自分が生涯を生き抜くことができるのは、一体何歳のときがゴールなんだろう。

倒れてからそのことについてよく考えるようになった。神さまは自分の寿命を教えてはくれない。

 

日本人の平均寿命を70〜80歳として、自分の寿命をその平均値として仮定して生きる人はどれほどいるだろうか。私は概ねその程度だろうと思い、人生の最後には「平穏に生きれたらな」と思って今はがむしゃらに生きているつもりだった。

しかし先日、もしかしたら本当に今の歳で死ぬかと思うと、どうにもやり残したことや、感謝したいのにしきれてない人などが脳裏をよぎる。望んでいた平穏などもってのほかだ。あれほど「後悔することが大嫌い」で、後悔がないように思いつくことは全部やりきるようにしてきたのに、これでもかというほど手はまわってないし、やり直したいこともでてきた。

この気持ちについては、まだ欲が自分にあるからよいと思っている。生きるための足掻きに繋がるものは生命力だし、なんとしてでもという欲を持っていると、できる範囲から謎の工夫をしはじめる。

 

 

私にはあまり、無理してまで「生きたい」という気持ちがない。苦しすぎて、いっそのこと何もかも終えたいがために「死ぬ日を待つ」ことは実際あった。後悔したものもどうでもよくなる。

 

病気になったとき、たいてい下記の二手に別れるのではないだろうかと私は考えている。

一人でも希望を持ち、メンタルが強い人。もう一つは孤独に打ち負かされて気持ちがどん底になる人。そのどちらかに別れるのではないだろうか。後者は絶望と向き合うことになる。

 

孤独を感じる人はそれだけ多くの人と自分を比較したりして、負い目を持っていたり、人より寂しかったりする。弱いゆえにネガにもなるのだ。しかし、一人でも強い人は基本そんなものは関係ない。どんな病気でも怪我でもタフで、いくら死にかけようが復活するケースも見たことがある。弱肉強食で言えば完全に生き残るコースだ。しぶといのである。これをみると本当にすごいとおもう。私にはこうはなれない。神経が麻痺した程度で病院でぼろぼろと泣くほどだ。だからなんだという気持ちになど到底なれず、多くの人からのメッセージが逐一こなければ症状が悪化するたびに気持ちが折れてしまったし、病気のことを忘れて「なんでできないの」という発言を受けるとダメージは大きかった。

 

 神さまは、自分の運命を決めてくれない。

 

多くの病人がどれほどの気持ちで生きようと治療しているかわからないが、特に孤独に耐えづらい人ほどこの世界との繋がりから離れぬことのないようにと私は祈りたい。

 

そしてやりたいことがちゃんとあるなら、やっておくこと。

自分の人生を「いい人生だった」と振り返ったときに言えるか、そういうのは考えて生きると良い。

 

 

まぁ、私はまたアンバランスな生活をしてしまいそうだが。