説明する義務がある
おそらくわたしの人生がこうさせた。
1つのゴールにたどり着くにあたって、いろんなたどり着き方があるというはなしで、わたしはその経緯をすっ飛ばして結論だけ言うことが多い。なんのけなしに、説明をはぶいてしまうのだ。しかしそれだとその人がどんな行動をとって、どういうたどり着き方をしたのかわからないということ。
基本的には知らない人に理解してもらうということは重要だ。わかりあえることはないからなおさらなのだ。だから説明のプロセスをふまなくてはならない。
ここでわたしにいえるのは「自信のなさ」だ。
先日これを見抜かれた私である。結局のところ、私には「私程度の人間ができるのだから他のみんなもできる」という考えが根底に根付いていて、みんなができる雑務を単にこなしていた、なんて思ってしまって話すふしがある。しかし、振り返ると私以外ではできないことがたくさんあって、自己評価を貶めてしまってるところがある。これを瞬間に見抜けた人がそこにはいて、非常に反省すべきことだともおもった。
しかしこういう、一瞬で見抜ける人がいるのはすごいことだとおもう。多くの人をみてきたこその話で、なかなか出会えることもない。
場が場なので、がまんしたが、家に帰ったらやっぱり泣いた。