ムンクの「病める子」から。
どうにもこうにも食欲はでない。
昨日はなんとかなったけど、今日はつらかった。なにも入らない日は、絶望を感じる。
日に日に痩せていくのと、落ちる体力は次第に焦りを募らせる。理屈での回復と実態はだいぶ違ってくるのだ。「本当に治るのかな」との戦いが続く。よっぽど人と話してるかゲームでもしていたほうがメンタルにはいいのかもしれないが、私は今日も寝込むだけで1日を終えた。とはいえ、義務でも薬を飲むことだけに専念する、これさえ頑張ろうとすれば、なんとか胃にも食品をブチ込む気力ぐらいは起きる。実際は、ほとんど飲めなかったゼリーや、ヨーグルトの残骸が目の前に広がっているが、それでも何もしないよりはマシだ。
病気というのは人の気持ちを奈落の底に落とすな、と心底おもう。絶望への誘いとしては天才だよ。皮肉をこめて褒めてやりたい。
ここまでくると、医療が発達してなかった時代の人々は、疫病になったときにどんな気持ちだったのだろうかと考え始める。治るかもしれない希望を持ってひたすら寝るのか、死を覚悟してこの世から別れたつ日を待ちながら死神と共に過ごすのか。という疑問だ。
私のすきな画家にムンクがいるが、彼の絵で「病める子」という作品を思い出す。あの作品に描かれている少女は死をすでに覚悟し、その横では大人が絶望と悲嘆にくれている。ムンク自体が早々に母を失い、姉も失っているので、あの絵は自身の体験から描かれているのだ。リアルな死がそこにある。
大げさだなと思うかもしれないが、食べることができなかったり、歩くのもしんどくなってくると本当に死ぬのかなという疑念はやっぱりわいてくる。診断と治療だけで済めばいい話が、自分ができる範囲が狭くなると不安がでてくる。だから、なおさらだ。明日、明後日、未来でもいい、治るという保障を誰でもいいからしてくれれば、きっと人は安心できるだろう。でも実際はわからない。
だから人はすがるのだろう、どこにいるかもわからない神という存在に。
明日は、すこしでもよくなってほしい。
そう願って。