2015年の夢をいまもみる。
私のなかで、未来への道筋(直近)のものをよく考えていて、今年の6月はこうするとか、10月はこうするとか、そういうのがあったりするんですけど、だいぶ強いイメージで抱えていたりします。
で、だいたい気づくとそれをやりきれないで時間が過ぎてる。でも自分のなかで「このときこれをするんだ」って気持ちは諦めきれないので、自分のなかにそれを行っていたという妄想として二分した記憶がうまれてきます。厄介ですね。
だからわたし、2015年の7月には、自転車をかって台場で朝日をみるって決めてたから、それができないまま秋もすぎて冬になっちゃったから、私のなかで、それを決行する自分を夢見るのです。なんでできなかったの?自転車までかったのに。
組み立てもできなかったし、天気もよくなかったし、なにより忙しさを自分へのいいわけにしてた。
後悔してもしょうがないんです。
もしもね、乗り気じゃないとできないんだよなってときに、それでもやらなかったら後悔することがみえるのが分かっているならば、いろんな感情すら抜きにして無理やり自分を自分が過去に描いた場所へ引っ張ってあげると結構違います。
そうやって、私は。
遠くにいっていた。から。
きっとそれが「可能」だったことであれば、そうした日が奇跡にかわる。
なんでこれをいうかというと、可能にならない日ってのは突然くるものなので。
では、またね。